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あえて [Syrup 16g]

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今回のdarcは全曲英語タイトル。例えばmurder you knowはもちろん<まだ言うの>なわけだがきっと再結成前なら躊躇なくタイトル、<まだいうの>とつけただろうな。あの<hell-see>に収められた超名曲<もったいない>のように。 

再結成後のSyrup、五十嵐隆の曲作りにはある種のオブラート感がある気がする。<それを言っちゃおしまいだよ>がやや薄まっている。それを踏まえての英語タイトルじゃないかな。

これが彼が単に歳をとったり空白の時間の間の経験から出た自然なものなのか、もっといい意味で計算されたものなのかは全然わからない。今回音楽雑誌3誌のインタビューを受けていて、俺は全部買って読んだのだが(再結成後の彼のインタビューが載っている雑誌は全部買っているぞ)、もちろんインタビュアーが違うからというのもあるがそれぞれ異なる視点からの分析と答えがとても面白くて興味深かった。これを読んで理解したことがある。それは五十嵐隆というフラジャイルで巨大な才能を大樹さんやマキさんはじめ周囲のそれを支えるこれまた才能によって<Syrup16g>というひとつの存在ができあがっているという、それを彼自身がいちばんよくわかっているということ、それが以前とは全く異なるのだ、ということだった。 五十嵐隆イコールSyrup16gではもちろんないが、彼の作詞作曲能力とあの繊細なヴォーカルがなければSyrup16gはありえない。しかし、五十嵐が一人で曲を作って出したとしてもそれは五十嵐の望みうるものとして成立しないのだ。そこに大樹さんとマキさんがいなければ。

だからSyrup16gは圧倒的に<バンド>なのだ。今となってはとても古びた、使い古された存在の<バンド>なのだ。

インタビューのいたるところに<ギリギリな感じ>を醸し出していた彼だが、案外このままズルズルと?!ながーくいっちゃうんじゃないかと期待している。みんな心配しているけれど、解散前のあの<いつ終わっちゃうんだろう>とか、最悪の事態さえ想像してしまったあの暗黒の気分に比べたら、全然マシじゃないか。

と、リアルタイムでファンだった(今はもっとファンだな)俺は思う。

前もこのブログで書いたが、俺はかつて、仕事の環境が激変していわゆる鬱状態に陥ったときに同じ時期に発売された<coup d'Etat >をたまたまCDショップで試聴してあまりの衝撃でその場から動けなくなりアルバムのほとんどをずっとそこで聴き続けてもちろん手に入れて、通勤の行き帰りにひたすら聴き続けて鬱状態からの脱却を果たした。これが俺の治療薬だったとは思わないが、この世界観が俺を助けてくれたことは間違いのない事実だ。そしてそんな人間(ex?)がきっとこの世の中にはゴマンといるのだと思う。そんなバンド、あるか?

圧倒的な絶望感や、救いのない暗黒の中のわずかに見える光は、陳腐でいい加減な楽観論、<頑張れば、願いは叶う>的前向き応援歌に、絶対に勝るのだ。そうでなくてはいけないのだ、この世の中は。

誰だって頑張れればいいなと思う。だけどそれができずに苦しんでいるのだ。<努力も才能のひとつ>なのだから。だから辛くてつらくてツラくてどうしようもない時に、キラッとわずかに見える光みたいなものに助けられて<ああ、明日も生きていこうかな>と思うのだ。 

もちろんそんなの、みんなわかってるんだろうけれど。